|
|
黒澤和子さんは、映画界の巨匠である故・黒澤明氏のご長女。1990年公開の『夢』から衣装担当として黒澤組の一員となり、以降『八月の狂詩曲』『まあだだよ』『雨あがる』で衣裳デザインを担当。現在も映画衣裳デザイナーとして活躍を続け、最近では『座頭市』『どろろ』『武士の一分』などを手掛けていらっしゃいます。 講演会では「映画衣装の世界」というテーマで様々なお話をしていただきました。「黒澤明の娘」という肩書を背負う故に味わった悔しさのお話。映画の世界で自分自身を認めさせるために、与えられた役割は完璧にやることはもちろん、「スタッフに依頼されないことでも積極的にやる」と心に決め、作り手がもう存在しないといわれていた「バオリ」という青森の民具を100枚調達するために、必死に駆け回って作り手の老人を見つけたというお話。一つひとつの実績を通して徐々に「黒澤明の娘」から「衣装デザイナー」として認められていった経緯。また、衣装自体を「アート」として表現するファッションデザインと「総合美術」の一部門として装置に徹する「映画衣装」の違い。映画制作の舞台裏。さらに、「世間のイメージと違って実はジョーク好きで気配り上手だった」という黒澤明氏の素顔。何の予告もなしに連れて帰ってくる20人〜30人ものスタッフへのもてなしのために、「まるで相撲部屋か小さな旅館のようだった」という黒澤家の日常。正月ともなれば70人〜80人の来客があり、その料理づくりと何千通ものファンレターの返信に追われた年末年始の光景。
また、「いさぎよく生きる」というご自身の人生のテーマなどについてお話しいただきました。職業人として、娘として、妻として、母として、また、家政婦として、看護婦として、ウェイトレスとして、そして「黒澤組」を支える名マネージャーとして過ごされたご経験はたいへん興味深く、会場のみなさまも引き込まれるように聞き入っていました。 ● 黒澤和子氏への質問のいくつかをご紹介しましょう。Q 衣装以外に、アクセサリーなどを手がけることはありますか? A 映画の撮影現場でアクセサリーは小道具さんの範疇に入ります。気になることはありますが、それぞれ「プロ」の世界ですからあまり口をはさめません。ただし、現場でスタッフ同士の気心が知れるようになれば、気軽に口を出せるようになります。これは映画の衣装とファッションスタイリストとの違いですね。監督やプロデューサーが「他の部門も見てください」とその権限を任されることもありますが、基本的には分業です。 Q 映画の衣装デザイナーは、自分の感性をどのくらい発揮できますか? A 私自身のキャラクターや仕事を信じてくれている監督からは「全て自由にやってください」といわれる場合もあります。でも、映画は監督を中心とした「総合美術」ですから、勝手な自己主張やおごった気持ちは全体のバランスをくずしてしまうことになります。いろんなタイプの監督のやり方に合わせるというのが基本姿勢ですね。画面を観ていて「どんな衣装だったのか気がつかなかった」自然な衣装、これはもう「アート」だと思います。 Q 映画衣装のテクニックとして講演の中でおっしゃっていた「汚し」のうち、最も「レベルの高い」汚しとはどういう風にやるのですか? A 生地全体、繊維の一本一本にダメージを与えます。時間がないときには薬剤なども使いますが、できるだけ時間をかけます。昼は日にさらし、夜はずっと洗濯機を回すということを続けて、さらにサンドペーパーをかけます。ほころび部分もせっせとサンドペーパーをかけてつくります。ただし、のめり込み過ぎると全体が見えなくなってしまうので、たまには客観的にみるようにしないといけませんね。あとは根性です。 「体に沿う」ということ、新品は着こなされていない。体に沿う経年変化をつくる…これはファッションデザイナーの服づくりと同じですね。 Q 映画衣装や舞台衣装を目指す学生が、学生時代にしておいた方がよいことは? A 映画はたくさん観ておいた方がいいでしょうね。時代考証や「汚し」など、映画の衣装というのはすごく工夫されていますから、そこからインスピレーションを受けることができます。他の分野のデザイナーにとっても、映画衣装の工夫は参考になると思います。 映画界は衣装デザイナーがとっても少なくて、私は働かされっぱなしです。若い皆さんにこの世界に来ていただければ、私も夏休みくらいはとれるようになるので、よろしくお願いします。 |