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ピーコさんがファッション業界に進むきっかけは1964年にサンヨーレインコートに入社したこと。
百貨店にて営業をしていたが、「今後ファッションの仕事をしていくには基本から勉強しないと。素材やデザインなどにも精通していなければプロとは言えない」という思いより退社、1969年に文化服装学院に入学、卒業後は衣装製作、スタイリスト、タレント、シャンソン歌手として活躍されています。
皆さんにお話するにあたり、「よそおう」と辞書で引いてみました。
文化服装学院に入学した当初は、アパレルの営業を経験していたというものの、ミシンを踏んだ経験もなく、
年齢も周りと比べて年上の方でした。
シャンソン歌手のイブニングドレスを作りたいという目標を抱いていましたが、私は男性なので女性の体を何も知らなかったのです。
そこで、先生の勧めで研究専門部であるランジェリー科へはいりました。
ランジェリー科はもちろん全員が女性。
45人ぐらいの女性の中にたった1人男性。入ったはいいけど自分のバストと同じランジェリーを作るために自分のトルソーを作るという壁にぶつかりました。
そんな経験を通して個々に異なる女性の体形を学びました。
当時は、どこかの安い生地屋で生地を買って自分で引いたパターンで作った、歩けば廊下を掃除しているようなパンタロンをはいたり、死ぬほど変な服を着ていました。みんながみんな、変な格好をしていたと思う。
ヴォーグなどの雑誌で見たものをまねしたり、チグハグでしたが、装うための準備、支度というのがあってそれがすごく楽しかった。
20年ほど続けていたファッションチェックをやめてしまったのは、最近の若い人がみんな同じような服を着ていて、装うことの楽しみ方やファッションに対する考え方が変化してきたと感じたためです。
最近の若い人はきれいな人がとても増えましたが、何か違う気がしています。
「装う」と「きれい」がごちゃごちゃになっている感じがするのです。
ここにいる人の中で、きれいになりたいなぁって思う人はどれぐらいいますか?
(ほとんどの人が手を上げた)
ずうずうしいわ。
私は、20年前に大きな手術をしました。
40代になるまでは美味しいもの食べて、楽しい生活ばかりを夢見て生きてきた、そんな矢先に目の中にがんが見つかったのです。30万人に1人という病気でした。
病気を治すには義眼を入れる他ありませんでしたが、手術には保険が利かず、お金が必要になって困っていた時のことです。
タレントの永 六輔さんが中心となって1人1万円の寄付を集めてくれたのです。
私は自分だけが良くなればよいと思って生きてきたので、寄付をしてくれた人が、なぜ寄付をしてくれたのか理解できなかった。その中には私が悪口をいっていた女優さんもいて、今までの行ないを反省しました。
その時はじめて、これまで自分のことしか考えないで生きてきた自分に気が付きました。
それからは、仕事を請けるときのプライオリティを決めるようになって、 私は、44歳になってやっと本当の「きれい」に気がつきました。 でも、あなた達はまだ20歳になるぐらい。 今から、どういうことが美しいか、どんな音楽を聴くか、どんな本を読むのか、何のために生きてきたか、生きていくのか、弱い人の立場にたって何ができるのか。 自分なりの答えを探してみてください。そうすればきっと今の自分よりきれいになっているはずです。 これは私からあなた達に贈るプレゼントです。 今日は、どうもありがとうございました。 |