思わずとっておきたくなるようなスタイリングを心掛けて
ファッション雑誌、書籍、広告、音楽(CD・PV)から、タレントやファッションショーに至るまで、様々な媒体からスタイリングのオファーがくる、人気スタイリストの相澤さん。元気な笑顔と"ミキティ"の愛称で、仕事仲間からは絶大な支持を得ている。スタイリングで心掛けていることを聞くと「色使いは特徴的だと思います。雑誌ならば、私のページを見て元気になったり、切り抜いて貼っておきたくなるようなパンチのあるページを作りたい。ちょっと笑ってもらえるような世界観も好きです」。また、意外にもスタイリングは小物から入ることが多いそう。リサーチもまずは小物というのもおもしろい。今回の取材場所となった「パニックルーム」と呼んでいる相澤さんのアトリエには、膨大な数の小物のコレクション&服があふれていた。
幼い頃から、ファッションへの道を決意!
相澤さんがファッションを志したのは、小学生の頃。「ヴィヴィアン・ウエストウッドのショーをテレビで見て、デザイナーになろう!と思いました。中学卒業後には文化へ入学したかったのですが、それはできないので(笑)、まずは地元の高校へ。高校時代は、バンドの衣装を独学で作ったり、ファッションショーを開催したりしました」。そのとき、ショーに足りないものを集めていると、自然にスタイリストの方が、自分に向いていると気が付いたそう。そこで迷うことなく、文化のスタイリスト科へ入学。文化時代はショーのフィッターを手伝う課外授業で担当者に仕事ぶりを気に入られ、ショースタイリストのアルバイトをスタート。卒業時には、ずっと憧れていたスタイリスト・飯嶋久美子さんに履歴書を送るが結果はNG。しかし、その個性とショースタイリストの経験を認められ、結果は取り消されて見事アシスタントにつくことになる。
若くして独立した不安をパワーに変えて
アシスタント時代は毎日が楽しかったという。「師匠のおかげで日々、いろいろなプロの人に会える。人が大好きなので、そこから学ぶことは大きかったですね」。アシスタントについて、2年半後には独立することに。「そのとき22歳で、独立するにはまだ若かったので不安だらけでした。でも偶然の出会いや人とのつながりで少しずつ仕事がくるようになりました」。そのうち音楽関係のスタイリング、ショー、雑誌へと活動の幅が広がっていった。「師匠から言われた言葉、"どんな仕事でも、これが最後でもいいという気持ちで仕事をしなさい"ということを一生のテーマとして、日々がんばっています」。